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古墳時代
(1)大和政権の成立
@大和地方を中心とする( )達が最有力豪族( )を中心に連合し成立。
A4世紀中頃には( )地方から( )にまで勢力を及ぼす。
B最盛期の5世紀には巨大な( )が作られる。
(2)金石文 → 刀剣・鏡などに文字を掘り込んだもの。大王の称号の記載などが見られる
@奈良県( )神宮( )(61字)
・百済王から日本に送られたもので、当時の日本と百済の交易関係を示す重要な遺品。
・現存する最古の金石文としても名高い。
A埼玉県( )古墳( )(115字)
〔裏〕其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左
治天下令作此百錬利刀記□奉事根原也
B熊本県( )古墳( )(75字)
「天の下に治しめす獲□□□鹵の大王の世、・・・・・・三寸の好き太刀を上る。この刀を服く
者は長寿にして、子孫その恩を注ぎうるなり。其の統ぶる所を失わず。刀を作る者の名は伊太加、
書ける者は張安也。」
C和歌山県( )八幡宮( )(48字)
「癸未年八月、日十大王年、男弟王、意柴沙加宮にましましし時、斯麻長寿を念じ開中の費直の
穢人、今州利の二人等を遣わし、白上同二百旱を取り、この竟を作る。」
(3)氏姓制度
@( ) → 同族の集団組織。( )を長として( )と呼ばれる成員によ
って構成。
A( ) → 豪族の( )や( )を表す。
・( ) → ( )の有力豪族(蘇我氏・平群氏など)に与えられた。
その中でも特に有力な豪族を( )とする。
・( ) → 特定の職能をもって使える有力豪族(物部氏・中臣氏・大伴氏など)。
その中でも特に有力な豪族を( )とする。
・君 → 地方の有力豪族 ・直 → 地方支配を認められた一般豪族
・その他に造・首・村主・史・忌寸などがある。
(4)部民制度
@( ) → 氏の私有民の総称。
・( )(伴) → 特殊な職能を持って朝廷に仕える。伴造が統率。
例)陶造部・・・須恵器を造る。 韓鍛冶部・・・鍛冶
・( )・( ) → 大王家の私有民。( )が管理。
・( ) → 豪族の私有民。
A土地の領有 → 大王家・豪族は私有地を領有。
・( ) → 大王家の直轄地。田部が耕作。( )が管理。
・( ) → 豪族の私有地。部曲・奴が耕作。
(4)政治形態
@中央の政治 → 大王が行い、( )・( )が補佐。
A地方の政治 → ( )・県主・稲置によって支配。
(5)人々の生活
@衣食住
・豪族は平地式住居。一般人は( )住居。
・( )(弥生土器と同系統)・( )(朝鮮から渡来・灰色)を使用。
・一般人は( )・( )、豪族は上下に分かれた衣服。
A農耕儀礼
・( ) ・・・ 春に豊作を祈る
・( ) ・・・ 秋に豊作を感謝する。
B呪術的風習
・( )・・・清流で身を洗い、罪やけがれをおとす。
・( )・・・災厄・罪悪をはらいのける。
・( )の法・・・鹿の骨を焼き、そのひびわれの形により吉凶・神意を判断
・( )・・・熱湯に手を入れ、火傷の有無で真偽を判断。
C信仰
・祭祇や儀礼を行った祭祇遺跡が各地で発見。
・( ) → 自然神や祖先神を祭る。
Ex)伊勢神宮 → ( ) 出雲大社 → ( )
(6)古墳
@発生時期 → 3C後半から4C初めにかけて。
A時期区分 → 4C〜7C初めにかけて。前期・中期・後期の3つに区分される。
A場所 → ( )沿岸から( )にかけて。
B意義 → 特定個人の墳丘墓。( )の埋葬・首長権の継承を内外に示す。
C種類 → ( )・円墳・方墳などがある。
D構造 → ・前期・中期は丘陵上などに( )が多く築かれる。
・表面には( )がおかれ、( )をめぐらし、内部には( )
石室や粘土槨が作られる。
・後期には有力農民の間にも作られるようになる。それにともなって、追葬可能な
( )石室(中に ・ )をもつ多くの円墳( )
が各地で作られる
E主な古墳
・( )古墳(奈良) → 最古の前方後円墳。出現期最大の古墳。
・( )古墳(大阪) → 百舌鳥古墳群の中心。日本最大の前方後円墳(5C頃)
仁徳陵古墳とも呼ばれる。
・応神陵古墳(大阪) → 別名:誉田御廟山古墳。大仙陵古墳につぐ大きさ。
・( )古墳(群馬) → 東日本最大の古墳(全国27位)
F消滅 → ( )思想の流入による( )の出現のため、8C前半頃に消滅
(7)中国の情勢
@3世紀後半に魏が倒れ、晋(西晋)が統一を成し遂げる。
Aその後、晋は北方諸民族の侵入をうけて、江南へ移る(東晋)。以後は、五胡十六国時代を経
て南北朝時代に突入
(8)朝鮮の情勢
@北部では( )が南下し、313年に( )郡を併合。
A南部では小国家が分立していたが、4C中頃に馬韓 →( )、辰韓 →( )
に統一される。弁韓は( )と呼ばれるようになるが、諸国分立状態が続いた。
(9)大陸交渉 → 朝鮮・中国を分けて確認
@朝鮮との関係
・( )へ進出 → 鉄資源や先進技術を求めるため。
・( )と仲良し → 369年に百済の要請で軍を送り、( )と戦う。
・( )の記載 → 391年に朝鮮に出兵し、( )・( )と戦い、
404年には( )と戦ったことが記されている。
A中国との関係
・( )の遣使 → 5Cはじめ、中国( )へ遣使。( )・( )・
( )・( )( 天皇)・( )( 天皇)
が中国皇帝へと次々と使いを送る。
↓
朝鮮半島の政治的立場を優位にするため
・478年、倭王( )が宋の順帝より、( )などの称号を得る。
(10)( )(広開土王)の碑文 → 高句麗の王
@( )により建てられる。場所は現在の( )にある。
A内容 → A.D4C頃の日本について。391年の出兵について
B本文 → 「百残・新羅は旧これ属民にして、由来朝貢す。しかるに倭は、辛卯の年をもって
来り、海を渡り百残□□新羅を破り、もって臣民と為す。」
C要約 → ・百済・新羅はもともと( )の属国であった。
・( )年(辛卯の年)に倭が攻めてきて、百済・新羅を破り属国にして
しまった。
(11)『 』( )(倭王武の上表文)
@作者 → ( )
A成立 → A.D6C頃
B内容 → A.D5C頃の日本について
C本文 →「興死して弟武立つ。自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国
諸軍事安東大将軍倭国王と称す。順帝の昇明二年使を遣はして上表して曰く、「封国
は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬ら甲冑をつらぬき、山川を跋渉して寧処
に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡り
て海北を平ぐること九十五国。・・・詔して、武を使時節都督倭・新羅・任那・加羅・
辰韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に除す」
D要約 → ・倭王武は、自らを使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国
諸軍事安東大将軍倭国王と称し、478年(昇明二年)に使いを送った。また、
自ら「東は蝦夷を征服し、西は熊襲を征服し、海を渡って朝鮮を征服した」と
言ってきた。そこで、順帝は、武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・
慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に任じた
(12)大陸文化の流入
@( ) → 朝鮮半島から、製陶・機織・金属工芸・養蚕などの技術が伝来。
A渡来伝説
・( ) ・・・ 秦氏の祖先。養蚕・機織技術に秀でる。
・( ) ・・・ 東漢氏の祖先。文筆に秀でる。
・( ) ・・・ 西文氏の祖先。百済から「論語」・「千字文」を伝える。
B( )の伝来 → 王仁が伝えたとされる。朝廷の記録・出納・外交文書などの作成な
どに使用。( )の七支刀に最古の記載が見られる。
C儒教・学問の伝来 → 6C前半に、百済より( )の渡来。それについで、医・
易・暦の各博士も渡来。
※五経・・・易経・詩経・書経・春秋・礼記
D歴史書 → 8Cに作られる、「 」「 」の原史料となる
・( ) ・・・ 大王の系譜を記す。
・( ) ・・・ 朝廷の説話・伝承などを記す。
E仏教の伝来
・私伝・・・( )天皇の時代に( )(鞍作鳥の祖父)が伝えたとされてい
る。(皇円『扶桑略記』)
・公伝・・・( )天皇の時に百済の( )から仏像・経典が献上される。
・( )年(戊午説) → ( )・( )
・( )年(壬申説) → ( )
↓
戊午説が有力とされる
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